消費されたくない。
学生と社会人の違いは何かと聞かれたとき、
「社会に何らかの価値を与えているかどうか」
とか今なら答える。気がする。
社会人二年目も半ばに入り、
やっと出向先でも一年がたった。
当たり前なんだろうが、これまでより、
周りからの要求レベルがあがっていく。
なぁなぁな学生のコミュニケーションではなく。
毎日全速力でハードルを飛んでる気分。
小さいのから大きいのからくぐるのまで。
息継ぎできるのは週末だけ。
それが社会、資本主義とか思う。
それはそれでしょうがないと思う。
嫌なら社長とか資本家にでもなるしかない。
生憎、そこまでのビジョンはない。
社会人生活で消費されるのはまだ理解できるし、
消費されないように人格・知識を形成しなくては
とかそんなことを最近考えている。
でもなんだか最近は
私生活で消費されるのに納得出来ないんだ。
心や器が小さくなってしまった気がしないでもない
きっと違うんだろうけど。
ただ単純に仕事で求められすぎて、
私生活に精神的なリソースが足りないんだろう。
金も愛情も何もかも、沢山あるところに
集まる気がする。自分の分がなくなってしまう。
求め合うより、与えあう、
若しくは、あるものを共有するとか、
そんな理想を掲げたりして生きていきたい。
資本主義ではない回路で、私生活くらい、ね。
消費されたくない。消耗したくない。
そのカウンターを今考えているところ。